論文「完全でっち上げ」か ES細胞でソウル大調査委結論へ
韓国ソウル大の黄禹錫(ファン・ウソク)教授の胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究をめぐる疑惑で同大調査委員会は、ヒトクローン胚からES細胞11個をつくったとする5月の米科学誌サイエンス論文の執筆時点で当該のES細胞は一つもなかった、との結論に達した。聯合ニュースが同委関係者の話として26日伝えた。
http://www.sankei.co.jp/news/051226/kok030.htm
まだ調査中なのだから、完全でっち上げなのかどうかは確定していませんが、それにしてもひどいなぁ、このニュースは・・・。共同研究者がピッツバーグ大学なのですよね。どこかの記事では、そのピッツ大の教授も、教授職剥奪の方向で大学が審議中と書いてあったし。否応なしに気になる。
詳細を逐次追っているわけではないので、細かいことは把握していないですが、大規模な研究予算によるプレッシャーとか、国民からの期待によるプレッシャーとか、いろいろなものがあったであろうことは想像できます。が、やはり科学者としては、捏造は明らかに超えてはいけない倫理上の一線でしょう・・・。
それにしても、科学の分野で捏造を一回してしまうと、「もうどうにも止まらない」状態になると思うんだけどな。「嘘の上塗り」というか。捏造された研究をまた土台にして次の研究がどんどん構築されていくわけで、捏造の連鎖が始まってしまうことでしょう。
数年前、そう言えば、日本で「考古学のカリスマ」みたく呼ばれていた「黄金の腕を持つ」みたいな、なんでもどんどん重要な遺跡や土器を発見しちゃう学者がいましたな・・・。毎日?新聞だかが捏造の真相をスクープして、結局、その学者の研究業績全部総点検、そして他のいろんな研究にも波及効果出まくり・・・だったような。
あれも一回「仕込んだ土器」を発見して、「すごい業績だ!」とかなると、もうどうにも次回以降引っ込みが付かなくなるんだろうなぁ・・・。
姉歯事件の事も最近大ニュースになっているし、「職業倫理」なりの「倫理」が問われる時代だなと思いました。
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Posted by onigawara at
17:12
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Mixiで小学校の同級生や後輩と知り合ったという話を一昨日書いたが、小学校の思い出話をしだすと本当に、「やめられない。止まらない。」状態にはいってしまう。
今から思い返しても、「ものすごく」という言葉がピッタリなほど「ものすごく厳しい」小学校であった。キリスト教の私立だったということもあるけれど、それだけではあそこまでしつけの厳しい理由にはならないでしょう。
廊下を走らない。走ったら、走り出したところまで行ってやりなおし。あだなで友達を呼んではいけない。クラスに二人同姓の人がいる場合以外は、きちんと名字で「○○くん」「○○さん」と呼ぶこと。言い出したらキリはないのだが、とにかくありとあらやる小学校生活で、厳しくしつけを受けた。
ひとつ大きく覚えているのが、廊下や校庭脇などにある水道の蛇口。クルリとひねると上向きになって、上向きに水を出して水を飲むこともできるわけであるが、飲んだ後に上向きのままにしておくと、水が蛇口の中にたまって、雑菌の繁殖だかの原因になる。ということで、「水を飲み終わったら蛇口は下向きにもどりましょう」というルールがある。
ここまでなら普通の他の学校でもあるかもしれない。そのルールを守りなさい!というしつけである。しかし、それ以上のしつけというのは、「たまたま蛇口の前を通りかかったら、上向きの蛇口があったら気がつきなさい。気がついて、たとえ自分が上向きにしっぱなしにしたわけでもなくても、進んで下向きにひねり直しなさい。」というしつけである。
これはとても象徴的な教えな気がして、今でも忘れない。つまり、「進んで気がつきなさい。気がついて、やるべき事があれば、すすんで自分でやりなさい。人のためにつくしなさい。」ということである。実はこのしつけ、後に藤沢の大学院にてたまたま10年ぶりにぐらいに再会(というよりほとんどはじめて知り合った)した一年後輩とその話で盛り上がった。このしつけが体にしみこんでいるために、なんでもかんでも、大学の研究、仕事の場でも「進んで気がつきなさい。気がついて、やるべき事があれば、すすんで自分でやりなさい。」という原理で体が動く。実際自分もそうだし、その後輩もまったくその通りだと言っていた。そういう意味でこのしつけは体に深く刻まれているし、しつけとしては成功だろう。で、その原理自体を否定する気はないのだが、この行動原理だけで実社会で行動するわけにもいかない。つまり、目の前の「上向きの蛇口」の処理ばかりに終われてしまって、もっと重要な自分の仕事を忘れてしまうことがある・・・と困ったことになるわけである。自分としては、きちんと自分のやるべきことを優先順位をつけて処理していかないとならない。目の前の蛇口だけに目を集中するわけにはいかない。
で、その後輩と盛り上がったのは、グループワークのとりまとめだとか、だれかがやらなければならない雑務だとか、そういう「蛇口」って、ある時妙に魅力的な仕事に見えて、そればっかりやってしまう時ってあるよね、ということだった。別にそれはそれで、献身的にそういう仕事をやることは決して悪いことではないんだけれども・・・。我々はそれを「蛇口ジョブ」と呼んだ。
・・・と、語りはじめれば本当にきりがない。ある種一般社会とはワンクッションおいた別の世界にでもある、そんな環境の学校である。事実、中学に入ったとき(私立だったが、別にキリスト教系でもなく、しつけがきびしいわけでもなかった)は、少しの間いろいろとショックを受けて(今までがあまりに純粋培養だったので)、慣れるのにちょっと時間がかかった。
それでも総合的に考えて、あのしつけは受けてよかったものだと今でも考えている。三つ子の魂百まで、か。やはりしつけは体に身に付いているものであり、あまり大人になってから身に付くものではない。「ちょっと普通ではない厳しさ」だったけれども、あれがあったおかげで今の自分がある、そんな気がする。そして何十年ぶりとかにそういう経験を共有した同級生に再会しても、どこかに同じ匂いがして、面白いのである。
Posted by onigawara at
15:44
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奇しくもほとんど同時期に、ピッツバーグでそれぞれにお世話になっている友人達の、それぞれの就職が決まったという報告が入ってきた。
一人はついにPhDを取得され、そして世界トップの企業研究所に就職が決まられた。一人は医療関係の方で、ご自分は全然悪くないのにふとトラブルに巻き込まれて一時期大変だったようなのだが、これもDCにあるNIHというすごい研究所に就職決定。一人はいろいろ困難に直面しながらもものすごいパワーで留学し、先日卒業して、USと日本どちらで就職しようか?と迷っていたようだが、決まってみれば、元々すごく入りたかったという企業に就職が決定。
それぞれの方に心から拍手を送りたい。それぞれの方の事情をそれぞれお聞きしているから、各自本当にものすごい努力をしてきている人だと知っているし、本当に「ギリギリのところ」で頑張って来られた。
人生捨てたもんじゃない。(いや捨ててないけど。(^^; )きちんと努力していればそのうち報われますよ、というような典型的なパターンである。
こういうニュースが入ってくると、こっちも元気をもらえるから嬉しいものだ。
Posted by onigawara at
16:26
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『この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、
その一足が道となる。迷わずゆけよ、ゆけば分かるさ。』
--- アントニオ猪木引退の言葉 ---
は、実は、一休禅師 (つまり一休さん)の『道』という言葉なんだそうだ・・・。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー
まー、なんつーか、最近やけに「後から振り返れば人生の岐路」みたいな場所に立って、どうしたもんかね?と、春の芝生でまぶしい日差しを浴びながら日向ぼっこしてるみたいな、そんな感じなんですが。
変に気張ってみてもしょうがないですからね、「やりたいことやってれば、死にゃーしないでしょ。」って感じで、努めて気楽にやってみようと思ってるわけです。
この世の中、どんな仕事やったって、忙しいことに変わりはないような気がするし、いかに自分がホントにやりたいベクトルに近い仕事をできるかってことが、非常に重要な気がする今日この頃。
今までもこれからも、やる気を出せばガンバリには自信はあるけど、それにしても「やる気を出す」には、自分のやりたいことやってないと、でないからなぁ。
あとはタイミング。非常に贅沢な事だとは思いますが、自分の前にあるいろんな道を選択しても、結局どれも、かなり「今しかできないこと」であることには変わりはないような気がします。これに関しては、恩師、同期、たまたま知り合った人々、様々な人達に感謝しなきゃならないんだけど。ホントにありがたいことだと思うけど。そんな中でどうするか?と考えると、やっぱり「やりたいこと」なような。
Posted by onigawara at
05:57
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